「玉川上水」をインターネットで検索したところ、懐かしい写真が現われた。南新宿の文化服装学院前のモニュメントである。
もう、20年も前に文化服装学院を訪ねた時、歩道を歩いていた私の前に、突然、行く手を立ちふさがるように、このモニュメントが現われた記憶がある。ここを流れていたという玉川上水とは何だろう、そこに説明文があるにも拘わらず、そう思った。もう、すっかり忘れていた、あの時の驚きをかすかに思い出した。あの時初めて玉川上水というものがあることを知ったのだった。
実物に出会ったのは、それから10年程後、今から10年程前、三鷹であった。みたか井心亭でのお茶会に出かけたとき、三鷹駅南口から草木が鬱蒼と茂った地帯が帯状に延びているのに出会った。
お茶会の後、戻って玉川上水であることを知り、井の頭公園の横、万助橋まで辿ったのだが、あまりに青々とした緑にすっかり魅了されてしまった。どこまで続くのだろう、ここ三鷹駅を起点に辿ってみよう、という気を起こしてしまった。そして興の向くまま断続的に玉川上水を辿ることになった。
小平では、上水は雑木林の中を流れている。初めてそこへ行ったのは春で、ニリンソウが咲いていた。三鷹駅から遡上して武蔵野市で五日市街道に合流し、小金井市に入り、小金井公園の近くを通って小平市に至る。確か喜平橋辺りから雑木林の様相になり、小平中央公園の近くでニリンソウを見つけて小躍りしたのではなかったか。
その日は鷹の台駅近くの喫茶店で終了としたのだが、玉川上水に関する本がそこに置いてあった。上水に愛着を持ち、保存に尽力する多くの人がいることを知る。江戸初期に開かれ、江戸市中に水を供給し、明治・大正・昭和と大役を果たした上水も、水道の整備により役目を終え、昭和40年に小平監視所以降の水の供給を止めたのだそうだ。それが、多くの人の尽力により、昭和61年に復活したという。
この辺りは話に聞く武蔵野の中を歩いているようで一番好きだ。最近改めて行ってみたが木々に囲まれ土を踏む足元が心地よい。
高く伸びる木、はるか頭上の葉ずれの音。木の葉の向こうに透ける空が遠い。時々鳥の影がよぎるが相変わらず写真に撮れない。
井の頭公園から久我山の浅間橋までの道のりもいい。
井の頭公園の雑木林が玉川上水に沿って帯になって続いているようだ。特に牟礼の辺りは藪といってよく、周囲に人家が接近していて田園風景ではなくなっているだけに、伸び放題の木や草に、かえって自然のたくましさを感じる。鳥の声も心地よい。
最近、拝島から羽村までを4月末に、また、久我山から新宿までを6月末に歩き、玉川上水の旅を完了した。その間に上水に関する本やWEBページを見つけた。玉川上水から33の分水が行われ、江戸市中のみならず、広く武蔵野丘陵を潤してきたことを知る。この上水のおかげで武蔵野の開発が画期的に進んだ、それ以前は荒涼とした台地であったという。また、現在も羽村から小平監視所までの上水は村山浄水場への導水として機能している。人の手が入る前の、薄の類がぼうぼうとしスダジイなどの林が点在する武蔵野の台地を想像するとともに、そこをこつこつと開墾してきた先人の努力を想う。その時、大きな時間の流れの中の一点に立つ自分を感じる。
もう、20年も前に文化服装学院を訪ねた時、歩道を歩いていた私の前に、突然、行く手を立ちふさがるように、このモニュメントが現われた記憶がある。ここを流れていたという玉川上水とは何だろう、そこに説明文があるにも拘わらず、そう思った。もう、すっかり忘れていた、あの時の驚きをかすかに思い出した。あの時初めて玉川上水というものがあることを知ったのだった。
実物に出会ったのは、それから10年程後、今から10年程前、三鷹であった。みたか井心亭でのお茶会に出かけたとき、三鷹駅南口から草木が鬱蒼と茂った地帯が帯状に延びているのに出会った。
お茶会の後、戻って玉川上水であることを知り、井の頭公園の横、万助橋まで辿ったのだが、あまりに青々とした緑にすっかり魅了されてしまった。どこまで続くのだろう、ここ三鷹駅を起点に辿ってみよう、という気を起こしてしまった。そして興の向くまま断続的に玉川上水を辿ることになった。
小平では、上水は雑木林の中を流れている。初めてそこへ行ったのは春で、ニリンソウが咲いていた。三鷹駅から遡上して武蔵野市で五日市街道に合流し、小金井市に入り、小金井公園の近くを通って小平市に至る。確か喜平橋辺りから雑木林の様相になり、小平中央公園の近くでニリンソウを見つけて小躍りしたのではなかったか。
その日は鷹の台駅近くの喫茶店で終了としたのだが、玉川上水に関する本がそこに置いてあった。上水に愛着を持ち、保存に尽力する多くの人がいることを知る。江戸初期に開かれ、江戸市中に水を供給し、明治・大正・昭和と大役を果たした上水も、水道の整備により役目を終え、昭和40年に小平監視所以降の水の供給を止めたのだそうだ。それが、多くの人の尽力により、昭和61年に復活したという。
この辺りは話に聞く武蔵野の中を歩いているようで一番好きだ。最近改めて行ってみたが木々に囲まれ土を踏む足元が心地よい。
高く伸びる木、はるか頭上の葉ずれの音。木の葉の向こうに透ける空が遠い。時々鳥の影がよぎるが相変わらず写真に撮れない。
井の頭公園から久我山の浅間橋までの道のりもいい。
井の頭公園の雑木林が玉川上水に沿って帯になって続いているようだ。特に牟礼の辺りは藪といってよく、周囲に人家が接近していて田園風景ではなくなっているだけに、伸び放題の木や草に、かえって自然のたくましさを感じる。鳥の声も心地よい。
最近、拝島から羽村までを4月末に、また、久我山から新宿までを6月末に歩き、玉川上水の旅を完了した。その間に上水に関する本やWEBページを見つけた。玉川上水から33の分水が行われ、江戸市中のみならず、広く武蔵野丘陵を潤してきたことを知る。この上水のおかげで武蔵野の開発が画期的に進んだ、それ以前は荒涼とした台地であったという。また、現在も羽村から小平監視所までの上水は村山浄水場への導水として機能している。人の手が入る前の、薄の類がぼうぼうとしスダジイなどの林が点在する武蔵野の台地を想像するとともに、そこをこつこつと開墾してきた先人の努力を想う。その時、大きな時間の流れの中の一点に立つ自分を感じる。
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by hitoiro999
| 2007-07-11 01:45
| 川をたどる